「ここまで、おいで」。その言葉に従って、2-3mほどの距離をバタ足ですすむ。「ここ」が目の前になった時、「ここ」は一歩遠のいた。戸惑ったけれど、もう一漕ぎ。でも「ここ」はまた一歩遠のく。これが数回繰り返されたあとパニックになって、半ば溺れたようになって水を飲んだ。 私は泳ぎが得意じゃない。泳げなくはないのだけれど、足がつかないところには怖くて入れない。その理由をたぐり寄せると、多分、この「ここまで、おいで」と父親に言われた、市民プールの記憶が呼び戻される。小学生の私は「ここまで」には、どこまでいってもたどり着けなかった。この経験が体の奥に刻まれているようで、だから今でも足のつかないところで泳ぐのが苦手だ。 イルカみたいに水の中を楽しく泳ぎ回る娘たちをみていると、今年こそはスクールに通おうかという気持ちが体の奥の方でポカポカしてくる。あ、でも夏は終わってしまったから、また来年か。 “Here. Swim this far.” Following the cue, I “moved forward” by doing flatter kicks. When I almost reached “this far,” it moved one step further away from me. Being confused, I gave one more kick. Then again, “this far” moved away. After […]
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sound of home: stobreč=yokohama
30℃超えのカンカン照りとセミの声。クロアチアでの夏休みは予想外に子供の頃の思い出にひたる時間になった。 少し前に「故郷の味」について書いたけれど、「故郷の音」というものも存在すると気付いた。夏の暑さとセミは切っても切れない間柄。だから、セミのいないドイツは、どんなに暑くなっても、本物の夏と言うには一味足りない。そんなドイツからクロアチアの空港に降り立ち、最初に耳に入ったのはセミの声だった。一瞬にして、日本の実家に意識は飛び、締めた窓を通り越して聞こえてくるセミの大合唱を思い出した。 そこへきて、滞在したストブレッチという小さな海辺の町には、故郷を思い出すいろんな懐かしいが溢れていた。ベランダの洗濯物、アスファルトの坂道、電線、少し錆びた階段の手すり。通りの角を曲がるたびに、子供時代の昭和の風景が眼前に現れる。セミの声を聞きながらじっと立ち止まり、遠い記憶と照らし合わせる作業を繰り返した。何故だか少しドキドキした。あまりにも重なる部分が多すぎて、幻のようにさえ感じ、瞬きをしたら消えてしまうような気がしたからかもしれない…。 Strong summer sun, temperature over 30℃ and the drone of cicadas. Unexpectedly, our trip to Croatia took me on a journey back to my childhood. I wrote taste of home sometime ago, and now realised that there is also ‘sound of home’. The […]