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chicken sandwich

「アメリカの新幹線」、アムトラックに乗った。そのスピードとガタピシ感に、発車数秒で失笑してしまったけれど、鉄道の旅は味があって好きだ。夫も子供もいない、久しぶりの一人旅。NYCへ向かって、これから始まる4時間の鉄道旅行に期待を膨らませ、車窓を眺めた。 1時間ほど走った頃だろうか、気のせいか、追っかけていた外の景色が目で凝視できるようになってきた。そう思ったのもつかの間、電車はぴたりと停止した。しばらくして車内アナウンスがあり、この先の線路と交差する予定の高速道路でトラックの火災があったとのこと。暗雲が立ち込めるとはこのことだなと思いながら不安な気持ちで次の展開を待っていると、結局、消火活動の時間が読めないから引き返しますと車掌の声が言った。ドイツなら、ここで自己主張の大合唱が始まるだろう。でも、アメリカは違った。みんなとても穏やかで、携帯電話を貸し合い(私も義母から借りた携帯を貸してあげた)、予定変更を家族や友人に知らせている。途中車掌が通っても、つかまえて質問責めにするようなことはない。少し拍子抜けしたけれど、流れに任せ、元来た道を引き返す電車に揺られた。 それから1時間ほど歩く速さで逆行した後、予想もしない急展開が起きた。消火活動が済んだので、やっぱり予定通りNYCに向かいますと車掌は言った。既に出発してから2時間は経過しているのに、出発地点からほとんど移動できていない。自分は無力で乗った電車に揺られるしかない。私は一人だったせいもあって、悶々とした気持ちで、ただ委ねるしかないこの状況になんだか泣けてきた。西洋は自己主張が鉄板だと意気込んでいた私は、主張せずに折り合うアメリカ的な方法を目の当たりにして、一気に脱力した。そうすると、急に自分がお腹が空いていたことに気づいたので、食堂車で何か買うことにした。 新幹線の売店を頭に描いた私が間違いだったけれど、なかばキオスクのような売店に食べたいものは見つからなかった。仕方なく、「チキンサンド」を注文し、聞かれるままにチンしてもらった。座席に戻って一口食べた瞬間、涙が流れた。アツアツにチンされた、ふにゃふにゃのパンとチキンなのか何なのかわからない弾力のあるカタマリ。自分がチキンサンドだと自覚していないチキンサンドを、空腹に任せて口に押し込んだ。なんかすべてが切なくなってきて泣けた。 当初の運行時間をはるかに超えて、6時間ほど電車に揺られた私は、やっとマンハッタンにたどり着いた。半日近く一緒に過ごしたガタピシのアムトラックに愛着は沸かなかったけれど、出発前よりも、アメリカ人のことが分かった気がした。そして少し皮肉にも、一番悲しかったあのふにゃふにゃチキンサンドが、電車の中で平和を好むアメリカ人やアムトラックの旅そのものを象徴する記念品のように、今でも私の記憶に残っている。 I took Amtrak aka ‘America’s Shinkansen’. The speed and the rattling noise are nothing like Shinkansen but it didn’t bother me as I love train journey because you can relax while enjoying the view from the window, and feel the […]

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泳ぐということ

「ここまで、おいで」。その言葉に従って、2-3mほどの距離をバタ足ですすむ。「ここ」が目の前になった時、「ここ」は一歩遠のいた。戸惑ったけれど、もう一漕ぎ。でも「ここ」はまた一歩遠のく。これが数回繰り返されたあとパニックになって、半ば溺れたようになって水を飲んだ。 私は泳ぎが得意じゃない。泳げなくはないのだけれど、足がつかないところには怖くて入れない。その理由をたぐり寄せると、多分、この「ここまで、おいで」と父親に言われた、市民プールの記憶が呼び戻される。小学生の私は「ここまで」には、どこまでいってもたどり着けなかった。この経験が体の奥に刻まれているようで、だから今でも足のつかないところで泳ぐのが苦手だ。 イルカみたいに水の中を楽しく泳ぎ回る娘たちをみていると、今年こそはスクールに通おうかという気持ちが体の奥の方でポカポカしてくる。あ、でも夏は終わってしまったから、また来年か。 “Here. Swim this far.” Following the cue, I “moved forward” by doing flatter kicks. When I almost reached “this far,” it moved one step further away from me. Being confused, I gave one more kick. Then again, “this far” moved away. After […]

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sound of home: stobreč=yokohama

30℃超えのカンカン照りとセミの声。クロアチアでの夏休みは予想外に子供の頃の思い出にひたる時間になった。 少し前に「故郷の味」について書いたけれど、「故郷の音」というものも存在すると気付いた。夏の暑さとセミは切っても切れない間柄。だから、セミのいないドイツは、どんなに暑くなっても、本物の夏と言うには一味足りない。そんなドイツからクロアチアの空港に降り立ち、最初に耳に入ったのはセミの声だった。一瞬にして、日本の実家に意識は飛び、締めた窓を通り越して聞こえてくるセミの大合唱を思い出した。 そこへきて、滞在したストブレッチという小さな海辺の町には、故郷を思い出すいろんな懐かしいが溢れていた。ベランダの洗濯物、アスファルトの坂道、電線、少し錆びた階段の手すり。通りの角を曲がるたびに、子供時代の昭和の風景が眼前に現れる。セミの声を聞きながらじっと立ち止まり、遠い記憶と照らし合わせる作業を繰り返した。何故だか少しドキドキした。あまりにも重なる部分が多すぎて、幻のようにさえ感じ、瞬きをしたら消えてしまうような気がしたからかもしれない…。 Strong summer sun, temperature over 30℃ and the drone of cicadas. Unexpectedly, our trip to Croatia took me on a journey back to my childhood. I wrote taste of home sometime ago, and now realised that there is also ‘sound of home’. The […]

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RODEO!

西部劇さながらの砂埃が舞う駐車場、カウボーイハットとウエスタンシャツでドレスアップした人たち。彼らとともに飲み込まれた先には、絵にかいたようなアメリカンなビュッフェが出迎える。スペアリブやコールスロー、ホットドックやコーンブレッドを頬張り、腹ごしらえが済んだところで三々五々、ロデオ会場へ移動する。 「郷に入りては」の心境で、でも必死に流れに身を任せる自分は、盆踊りに行くかのような超リラックスしたムードの「勝手知ったる」地元の人たちとは対極に位置すると言ってもいいくらい。我ながら失笑するくらい、浮いていたと思う。 そこそこ生きていると、不慣れな状況でも大概のことは過去の経験が助け舟を出してくれるものだけれど、異国の地にいると、勝手もわからず、応用も効かない場面に遭遇することは少なくない。大人になってからの初体験は、思いのほか緊張する。アメリカでのロデオ体験はまさにその一つだった。 色あせたカラフルな売店、保温機のオレンジ色の電灯に照らされたフライドポテト、これと言って買うものが見当たらない土産物屋。とてもシュールなビジュアルは、デビッド・リンチの映画に紛れ込んでしまったみたいだった。そして、この「本番前の儀式」があまりにも刺激的だったので、個人的には本題のロデオは記憶の中で少し霞んでいる。ごめんよ、カウボーイ。 At a dusty parking lot reminiscent of the spagehtti wertern, there was a crowd dressed up in a wertern shirts with a cowboyhat. Following where they went, I entered a room of an extensive buffet filled with spare ribs, bacon and […]

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Tokyo nostalgy (neo)

私は昭和生まれだ。それが理由か、古いものに愛着を感じるタイプだからか、昭和を感じさせるものに出会うと、心惹かれる。日本は先進国だけれど、一歩裏路地に入れば、時が止まった「超アジア」な場面い紛れ込む空間のひずみが存在する。少なくとも、私の記憶の中では。 昭和ならではの裸電球。でもこれは省エネ版だから、昭和じゃないか。 I was born in the Showa era. Whether because of the time I was born or my emotional attachment to old things, I always feel drawn to the things or the situations that remind me of the era. Generally speaking, Japan is one […]

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Street performer

NYの地下鉄はストリートパフォーマーに遭遇することが何度かあった。ジャズっぽいドラマーやポップなパーカッショニストは、これぞNYという感じで気持ちが上がった。でも、どこか見たことのある風景という感覚は否めず、シャッターは切らなかった。 この彼女に出会ったホームは、バスキングスポットとして象徴的な場所ではないように思う。そして、彼女自身も、大きな動きで目を引き付ける存在というよりは、静かすぎる佇まいが目を引き付ける感じで、不思議な空間を作っていた。でもそれが無性にリアルで、とても興味を引き付けられた。正直、彼女がどんな音楽を演奏していたのか思い出せない。でも、この憂いのある伏し目がちの表情は、今でも記憶に残っている。 ストリートミュージシャンに出会うと、いろんなことが頭を巡る。その人の夢、日々の暮らし、音楽への愛。デジタルで音楽を聴くことに驚くほど慣れてしまった今でも、やっぱり音楽は生がいい。人前でパフォーマンスをすることの楽しさや、恐さを知っているミュージシャンの端くれとして。 In the NY subway, I often encountered street performers. From a jazz drummer to a pop percussionist, they looked like the very New Yorker to me, and I got really excited everytime I saw them. But somehow, I couldn’t help feeling ‘I […]

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本家はどちら?

日本とフランスは同じレベルで両想いだと思う。歴史的背景は、まったくといって言いほど共通していないけれど、フランス人は日本文化の侘び寂びやカワイイの感覚を理解しているように感じる。とは言え、フランスはラテンの国。彼らの立ち居振る舞いを見ていると、日本人のこじんまりとした島国の生き様とは対極に映ることの方が多い。熱情的で、周りの目などどこ吹く風、横柄なところもなくはない。お互い、自分にはない所に惹かれ合っているのかしら。 パリの地下鉄のドアにこのステッカーを見つけた時、両想いがここまで募っているのか!?と笑ってしまった。日本の電車のドアにも、これと酷似したステッカーが貼ってあるから。本家はどっち? I think Japan and France love each other at the same level. Though our historical backgrounds are completely different, it seems to me that French people understand the feel of Japanese culture such as Wabi-Sabi and Kawaii. However, France is a Latin country. […]

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photogenic

アメリカはフォトジェニックだ。そのサイズ感、プレゼンテーション、色、空気。このオレンジ色のごみ袋も、なぜかかっこいい。ちょっと考えてみても、道端のごみ袋がここまでカッコいい国は、ほかにはないと思う。 「こうなのだ」と肯定する力はパワフルだ。アメリカのカッコよさを裏付けるものはそこだと思う。間違っているか、そうじゃないかは関係ない。そして、この「肯定力」にいつも圧倒される。「これでいいですか?」と、常に周りと協調することを良しと教えられてきた自分には、この直球の肯定力は眩しい。オレンジ色のごみ袋、眩しいぜ。 America is photogenic. Size, presentation, colours and space. Everything is so big and vibrant, and has full of energy. Even a garbage bag is photogenic, and probably you cannot find any other place but America, where a garbage bag on the roadside looks […]

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やさしい人々

動くたびに視線がピタッと付いてくる。明らかな訪問者である、私の一挙手一投足を見つめる目。険しい表情が監視しているのだろうと、その視線の持ち主にそっと目をやると、そこには歩き始めた子を背後からそっと見守る親のような眼差しと、柔らかい笑顔があった。 ブカレストでは、たくさんの優しい笑顔に癒された。温かいお母さんがブカレストなら、ベルリンはちっとも褒めない硬派なオヤジ。愛がない訳じゃないけど、不器用。ちょっとひねくれてもいる。ベルリンのツンデレも惹かれるけど、褒められて伸びるタイプの私には、ブカレスト的な親がほっとする。 Every time I moved, a silent stare followed me very closely. Eyes stared at every move I, the obvious visitor, made. I thought there must be a serious face checking on me. But when I moved my eyes towards the gaze very slowly, […]

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midnight snack

日本では「シメのラーメン」というけれど、ドイツでは「シメのケバブ」という。どちらの場合も、正気の沙汰ではなく、酔った弾みの空腹を満たしたいという錯覚に、罪の意識なく軽く乗っかる感じ。だから、オスロで出会った、ジャンク感の薄いこの看板には、くぎ付けになった。だって、この笑顔。「シメのケバブ」を表現しているのか、「美味しいケバブ」をアピールしているのか、表裏一体な感じがたまらなく惹かれる。「うっしっし」か「やっほっほ」、呑兵衛かシラフかで全然意味が違ってくる。 ふと思う。「オスロのシメ」は何だろう。想像するに、ここのケバブは酔いがさめるほどの値段だろう。正気に戻れるという意味で、オスロで「シメのケバブ」はありかも。 After bar hopping, a midnight snack in Japan is, no doubt, ramen, but in Germany it will be kebab. In both cases, it is a classic example of insanity, taking an advantage of a drunken delusion of wanting to satisfy hunger, which is […]

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小さな魔法

*Please scroll down for the English version. 小さな店先のショーウィンドウが好きだ。一枚のガラス板を挟んで、外と内の2つの空間がシンクロする。 ヨーロッパ、特に東欧の街に行くと、日本では減ってしまった個人商店がまだ軒を連ねていることが多い。その独特の装飾やデザインのショーウィンドウは、物珍しいというだけでなく、その店のセンスが光っていて目をひきつけられる。ウィンドウの外側から透けて見える中の世界は、異国情緒も相まって好奇心が掻き立てられる。 ブカレストで出会ったこのショーウィンドウは、カラフルな半透明のシールのようなものが窓に貼られていて、通りの反対側が鏡のように映り込んでいた。裏と表の風景が幾層にも重なりあって、ちょっと幻想的でもあった。 I love shopfront, especially the ones of privately owned shop. It is fascinating to see that two worlds, inside and outside, are synchronized with a glass plate separating them. Comparing to Japan, there are still […]

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taste of home

外国で生活していると、おふくろの味が故郷の味になる。そして、故郷の味が必ずしも和食ではなくなり、アジアの味が故郷の味へと進化を遂げる。なかでも中華料理は、日本食が恋しくなるのと同じくらい愛着がある味で、美味しい中華を食べれた日には心の中からすーっと力が抜ける。生活様式や価値観は似ていない中国の味を、故郷の味のように位置付けてしまうって乱暴だけれど、正直ほっとしてしまうのだからしょうがない。 NY州の小さな町にあるこの中華料理屋は、時間が止まった店の空気と、アメリカにいながらもっとも非アメリカな空間がたまらなく安心感を与えてくれる。アメリカ帰省時の、私の「おふくろの味」だ。 20年も住んだドイツを、もしもいつか離れる日が来た時、次の土地で懐かしく思い出す「ドイツのおふくろの味」は何だろう。サワーブレッドと酢漬けの魚、赤ワイン。カルテスエッセンかもしれない。 Living in a foreign country for a long time, the taste of mom’s cooking will become the teste of home. However, the teste of home is not necessarily Japanese, and the taste of Asia evolves into the taste of home. Among other […]

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gentlemen’s circle

床屋には、流行り廃れに左右されない独特な佇まいがある。この空気感は、国が違っても共通しているように感じる。そのスタイルは、正直言うとおしゃれではないのだけれど、そのオフ感が一周まわってクールというか。ブレない感じが、とても惹かれる。男の美学を追求する場所、客も店員も真剣勝負、ガラス越しに見えるその微妙な緊張感。私が女ばかりの家庭に育ったので、未知の世界への興味がそう思わせるのかもしれないが、床屋には理屈では説明できない魅力がある。 NYのウェストブロードウェイ近くで出くわしたこの床屋は、何が特別なのかと聞かれると、ネオンのハサミが可愛いこと以外、正直これといった特徴はない。でも、どこの国にあっても「どこにでもある一軒」になるところが床屋の魅力だと思う。みんな似ている、でも、微妙に違う。変わらない時間が、ずーっと流れている感じが、たまらなく渋くて好きだ。 A barbershop has a distinct style which is never affected by changes in fashion. Its aesthetics are consistent regardless of the country in which it is located. The shop design is not cool, I would say, but its off-ness is too off, and […]

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where is your home?

普段何気なく目にしているものが、実際はどこから来たのかを知ると、親近感が湧く。ベルリンのたまに行くカフェのバーカウンターに、この「TABAC」のサインがかかっているのは長年目にして来たけれど、初めて訪れたパリの夜道で遭遇した時、あ、「お家はここだったのね」と妙に納得した。それもそのはず、件のカフェはギャルソンというフレンチカフェだから。 「TABAC」のサインはフランスのもの。知っていれば、そこまで驚かない。でも、世の中にはこういう点と点が繋がって納得する瞬間がたくさんある。外国に行かずとも、外国のものがたくさん集まっている日本で暮らしていると、旅先でふとした瞬間にこういう発見をすることが少なくない。知らなかったの?と言われたらそれまでだけれど、「本家」を知ることは、視界が開ける感覚と似ていて気持ちがいい。 When you learn the origin of the thing, which you have seen so many times nearly unconsciously, you kind of feel closer to it. I have seen this “TABAC” sign at the bar counter in a berlin café where I go sometimes and […]

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電線

たまに電線が恋しくなる。言ってみれば、ただの「棒と線」なのだけれど、そこに繋がっている家や人を空想するのが楽しい。電線と郷土愛を結びつけるのは無理がある。でも、間違いなくノスタルジーを感じる原風景の一つと言っていい。 ドイツには電線がない。少なくとも都心の電線は地下に潜っていて、街の景観はすっきりしている。言い換えれば、殺風景だ。片付いた部屋は気持ちいいけど、片付きすぎた部屋が疲れるのと同じで、すっきりしたドイツの景観、さらに言えばそのシステムには時々疲れる。 だから、イギリスでこの電線を目撃した時は、かなり盛り上がった。この放射状のへんてこな構造には、「人間らしさ」という壮大なイメージさえ感じてしまった。いつもきちっとしてなきゃ、と思わされている自分の心が、「これでもいいんだ」とほっとした。 Sometimes, I miss a power pole. It’s just “a stick and a line” but I like to imagine where it leads to, people and their life connected to the end of the line. To associate an electric line with my love for […]

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恐怖の鍵や

ドイツには、通りに突き出したタイプの看板が少ない。「看板文化」から来た身には物足りないけれど、たまに遭遇するものには秀作が多い。 平和で静かなチューリッヒの旧市街で遭遇した、この看板。「angst(アングスト)」とはドイツ語で「恐れ・不安」などを意味するのだが、驚きのあまり、しばらく看板を見上げたまま佇んでしまった。鍵やの名前に「angst」とつけた意図って、なんだろう。シャレか?ここで鍵を作れば、恐いものなし、という願掛けか?どっちにしても、斬新。 There are not so many hanging signs in Germany. I find it’s quite boring since I grew up in a country where shop signs was valued. However, if you encountered one the design quality is often excellent. In the peaceful and quiet old […]

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TECHNOPARK

この建物が目に入った瞬間、クラフトワーク、YMO、ジョイ・ディビジョンの音楽が聴こえた。 ほぼ予算のみで選んだチューリッヒの民泊先は、シフバウ(造船の意味)という工業再開発地区で、バウハウス好きには心地よいランドスケープが広がる。工業地帯は、ずるいほどに潔い存在感があって好きだ。少しすさんだ感じの哀愁も心惹かれる理由かもしれない。 Kraftwerk, YMO or even Joy Division were playing in my head when I stood in front of this building. An accommodation in Zurich I chose almost purely based on a budget was located in an old industrial area called Schiffbau (meaning shipbuilding) and […]

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BER-OSL

小学生の頃の私は、この景色を見るとは夢にも思っていなかった。ここはオスロ、クリスマスの翌日。 SNSのお陰で小学校時代の友人と30年ぶりに繋がった。でも正直、自分の人生で小学校がことさら思い出深いわけではなく、この先の展開にあまり期待はしていなかった。ただ、実際に会ってみると、校庭で一緒に遊んでいた時と同じ、飾らない会話が楽しかった。そうだ、あの頃の私たちには肩書もキャリアもなく、同じことに笑えるか、同じことが好きか、どんな食べ物が苦手か。そんなことが一番先頭にあった気がする。ただシンプルに毎日を生きていた。 その証拠に、一番印象に残っている彼の思い出と言えば、生のニンジンを丸ごと一本食べて、親から500円のお小遣いをもらったことだもの。おまけに、私たちはこの話に大熱狂した。実にシンプルだ。ニンジンからオスロへ…誰が想像しただろう。 When I was ten, I never imagined that I would see this scenery. This picture was taken from a friend’s house in Oslo on the day after Christmas. Thanks to SNS, I re-encountered an old 4th grade classmate after 30 long years. […]

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街の色

2000年当時、私が住んでいたベルリン旧東地区は、建物のほとんどが灰色だった。通りを歩くと、自分だけが(通行人が少なかったこともあるが)モノクロ写真の中で色付けされた被写体のような、通りから自分が浮き上がっているような奇妙な感覚を体験したものだ。 そんな経験があったからか、私の頭の中ではこう決まっていた。ブカレストはグレーの街、私が住み始めた頃の旧東ベルリンのような、色のない街と。でも実際は、青くて高い空と控えめながら調和のとれた色がちりばめられた、可愛らしい街だった。 色も記憶を呼び起こす。ブカレストの色はどこか懐かしく、自分の子供時代を思い出す優しい色が多かった気がする。そこに、旧共産国の重厚な建築が重なり合って、なんとも刺激的な景色だった。 When I started living in Berlin in 2000, many buildings in the former East Berlin were gray and unrefurbished. When walking down the street, you felt like you were a few (or sometimes the only) “hand-coloured-object” in a monochrome photograph. No exaggeration. […]

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True Value

このサインが作られた頃は、「本当の価値」というものがもっと分かりやすかった時代だったのではと想像する。多様性の大切さが声だかに叫ばれる今の時代には、こんなサインは少しおこがましくてつけられない。 ただ、自信や確信というものは、根拠がなくても胸をはって言い切ってしまえば勝手に説得力がくっついてくる時がある。このサインには、そんな「言い切りパワー」が備わっている。それがアメリカの魅力というか武器でもあるのかなと思う。 When this sign was made, “true value” might have meant simpler. In the modern times when people calling for diversity, you have to have a gimmick or do it in the right way to make it acceptable. However, a statement with confidence may […]

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