20年越しの手紙

ベルリンに住み始めてから、いつか連絡しなくてはと思っていた人がいる。その人は、壁が崩れる前後、昭和と平成の狭間でベルリンを訪れていた。好奇心旺盛なキラキラと光る目で、東ベルリンの街とそこに住む人たちの素朴で力強い魅力を、まだパスポートさえ持っていなかった高校生の私に語ってくれた。 その人とは、高校1年のクラス担任。教師という人種を毛嫌いしていた私は、初日からその担任に対しても、「騙されないぞ」という反骨心を丸出しにしていた。でも彼は、どういう訳か、そんな尖った10代の私を買い被った。「自分は平凡な人間だ」と常々思っていた私の背中を、ほんの時々、でもタイミングよく押してくれた。実力以上のことを試す勇気をもらった。いつか、海の向こうへ行きいたいという夢が、もしかしたら実現できるかもしれないと思い始めたのもこの頃だったと思う。日本を飛び出した今の自分があるのは、ある意味、この先生との出会いがあったからだと言える。繰り返すけれど、私は教師という人種がお世辞にも好きではない。でも、この先生は「恩師」だと呼べる。そして、多感な時期に出会い、影響を与えてくれた大人の一人だ。 私にとってこんなに重要な人なのに、なかなか書けなかった手紙は、ようやく数年前に下書きが済んだものの、そこから少なくとも5年間は、机の隅で他の書類に埋もれながら清書される日を待っていた。不幸中の幸いか、コロナがもたらしたたくさんの時間に後押しされて、今年ようやくポストに投函された。高校の名簿にある住所を頼りに、無事届くことを祈って…。 Since I started living in Berlin, I have had a person in mind, whom I though I should write a letter to. This person had visited Berlin before and after the fall of the wall. With his wide eyes of curiosity, he […]

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chicken sandwich

「アメリカの新幹線」、アムトラックに乗った。そのスピードとガタピシ感に、発車数秒で失笑してしまったけれど、鉄道の旅は味があって好きだ。夫も子供もいない、久しぶりの一人旅。NYCへ向かって、これから始まる4時間の鉄道旅行に期待を膨らませ、車窓を眺めた。 1時間ほど走った頃だろうか、気のせいか、追っかけていた外の景色が目で凝視できるようになってきた。そう思ったのもつかの間、電車はぴたりと停止した。しばらくして車内アナウンスがあり、この先の線路と交差する予定の高速道路でトラックの火災があったとのこと。暗雲が立ち込めるとはこのことだなと思いながら不安な気持ちで次の展開を待っていると、結局、消火活動の時間が読めないから引き返しますと車掌の声が言った。ドイツなら、ここで自己主張の大合唱が始まるだろう。でも、アメリカは違った。みんなとても穏やかで、携帯電話を貸し合い(私も義母から借りた携帯を貸してあげた)、予定変更を家族や友人に知らせている。途中車掌が通っても、つかまえて質問責めにするようなことはない。少し拍子抜けしたけれど、流れに任せ、元来た道を引き返す電車に揺られた。 それから1時間ほど歩く速さで逆行した後、予想もしない急展開が起きた。消火活動が済んだので、やっぱり予定通りNYCに向かいますと車掌は言った。既に出発してから2時間は経過しているのに、出発地点からほとんど移動できていない。自分は無力で乗った電車に揺られるしかない。私は一人だったせいもあって、悶々とした気持ちで、ただ委ねるしかないこの状況になんだか泣けてきた。西洋は自己主張が鉄板だと意気込んでいた私は、主張せずに折り合うアメリカ的な方法を目の当たりにして、一気に脱力した。そうすると、急に自分がお腹が空いていたことに気づいたので、食堂車で何か買うことにした。 新幹線の売店を頭に描いた私が間違いだったけれど、なかばキオスクのような売店に食べたいものは見つからなかった。仕方なく、「チキンサンド」を注文し、聞かれるままにチンしてもらった。座席に戻って一口食べた瞬間、涙が流れた。アツアツにチンされた、ふにゃふにゃのパンとチキンなのか何なのかわからない弾力のあるカタマリ。自分がチキンサンドだと自覚していないチキンサンドを、空腹に任せて口に押し込んだ。なんかすべてが切なくなってきて泣けた。 当初の運行時間をはるかに超えて、6時間ほど電車に揺られた私は、やっとマンハッタンにたどり着いた。半日近く一緒に過ごしたガタピシのアムトラックに愛着は沸かなかったけれど、出発前よりも、アメリカ人のことが分かった気がした。そして少し皮肉にも、一番悲しかったあのふにゃふにゃチキンサンドが、電車の中で平和を好むアメリカ人やアムトラックの旅そのものを象徴する記念品のように、今でも私の記憶に残っている。 I took Amtrak aka ‘America’s Shinkansen’. The speed and the rattling noise are nothing like Shinkansen but it didn’t bother me as I love train journey because you can relax while enjoying the view from the window, and feel the […]

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泳ぐということ

「ここまで、おいで」。その言葉に従って、2-3mほどの距離をバタ足ですすむ。「ここ」が目の前になった時、「ここ」は一歩遠のいた。戸惑ったけれど、もう一漕ぎ。でも「ここ」はまた一歩遠のく。これが数回繰り返されたあとパニックになって、半ば溺れたようになって水を飲んだ。 私は泳ぎが得意じゃない。泳げなくはないのだけれど、足がつかないところには怖くて入れない。その理由をたぐり寄せると、多分、この「ここまで、おいで」と父親に言われた、市民プールの記憶が呼び戻される。小学生の私は「ここまで」には、どこまでいってもたどり着けなかった。この経験が体の奥に刻まれているようで、だから今でも足のつかないところで泳ぐのが苦手だ。 イルカみたいに水の中を楽しく泳ぎ回る娘たちをみていると、今年こそはスクールに通おうかという気持ちが体の奥の方でポカポカしてくる。あ、でも夏は終わってしまったから、また来年か。 “Here. Swim this far.” Following the cue, I “moved forward” by doing flatter kicks. When I almost reached “this far,” it moved one step further away from me. Being confused, I gave one more kick. Then again, “this far” moved away. After […]

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sound of home: stobreč=yokohama

30℃超えのカンカン照りとセミの声。クロアチアでの夏休みは予想外に子供の頃の思い出にひたる時間になった。 少し前に「故郷の味」について書いたけれど、「故郷の音」というものも存在すると気付いた。夏の暑さとセミは切っても切れない間柄。だから、セミのいないドイツは、どんなに暑くなっても、本物の夏と言うには一味足りない。そんなドイツからクロアチアの空港に降り立ち、最初に耳に入ったのはセミの声だった。一瞬にして、日本の実家に意識は飛び、締めた窓を通り越して聞こえてくるセミの大合唱を思い出した。 そこへきて、滞在したストブレッチという小さな海辺の町には、故郷を思い出すいろんな懐かしいが溢れていた。ベランダの洗濯物、アスファルトの坂道、電線、少し錆びた階段の手すり。通りの角を曲がるたびに、子供時代の昭和の風景が眼前に現れる。セミの声を聞きながらじっと立ち止まり、遠い記憶と照らし合わせる作業を繰り返した。何故だか少しドキドキした。あまりにも重なる部分が多すぎて、幻のようにさえ感じ、瞬きをしたら消えてしまうような気がしたからかもしれない…。 Strong summer sun, temperature over 30℃ and the drone of cicadas. Unexpectedly, our trip to Croatia took me on a journey back to my childhood. I wrote taste of home sometime ago, and now realised that there is also ‘sound of home’. The […]

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親の心、子の心

子どもの自我が芽生えた頃、誕生の瞬間から自分の分身だと思い込んでいた小さな存在が、実は自分とは全く別個の人間なのだという事実を突きつけられた。それから10年余りがたち、その子は15歳になった。 初めて親になってから十数年間、たくさんの刺激的な「初めての瞬間」を一緒に体験させてもらった。そして今、初めての思春期を(再)体験中。思春期というと、渦中の10代が主役とされがち。でも、実は意外と、親の方が大きな役を与えられているのかなと感じる。そう、裏の主役。10代の子を持つ親が、子を自由に解き放ってあげること。この思春期の物語の隙間にある「スピンオフ」をしっかり綴ることが案外重要なのかもと、最近思う。 アラフィフ坂から見下ろす10代の海原はキラキラと眩しい。ところどころに見える荒波や渦潮だって、冒険の予感にワクワクする。一緒に漕ぎ出したい気持ちを抑え、この陸の上から見守ることがスピンオフのストーリーラインだ。ってことは、かなり地味な内容になりそうなスピンオフだけど、親世代限定公開ってことで。 When my first child started to develop her own identity at the age of 2-3 years old, I had to accept the fact that the child, whom I was believing as my alter ego since her birth, was an individual person with […]

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RODEO!

西部劇さながらの砂埃が舞う駐車場、カウボーイハットとウエスタンシャツでドレスアップした人たち。彼らとともに飲み込まれた先には、絵にかいたようなアメリカンなビュッフェが出迎える。スペアリブやコールスロー、ホットドックやコーンブレッドを頬張り、腹ごしらえが済んだところで三々五々、ロデオ会場へ移動する。 「郷に入りては」の心境で、でも必死に流れに身を任せる自分は、盆踊りに行くかのような超リラックスしたムードの「勝手知ったる」地元の人たちとは対極に位置すると言ってもいいくらい。我ながら失笑するくらい、浮いていたと思う。 そこそこ生きていると、不慣れな状況でも大概のことは過去の経験が助け舟を出してくれるものだけれど、異国の地にいると、勝手もわからず、応用も効かない場面に遭遇することは少なくない。大人になってからの初体験は、思いのほか緊張する。アメリカでのロデオ体験はまさにその一つだった。 色あせたカラフルな売店、保温機のオレンジ色の電灯に照らされたフライドポテト、これと言って買うものが見当たらない土産物屋。とてもシュールなビジュアルは、デビッド・リンチの映画に紛れ込んでしまったみたいだった。そして、この「本番前の儀式」があまりにも刺激的だったので、個人的には本題のロデオは記憶の中で少し霞んでいる。ごめんよ、カウボーイ。 At a dusty parking lot reminiscent of the spagehtti wertern, there was a crowd dressed up in a wertern shirts with a cowboyhat. Following where they went, I entered a room of an extensive buffet filled with spare ribs, bacon and […]

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Tokyo nostalgy (neo)

私は昭和生まれだ。それが理由か、古いものに愛着を感じるタイプだからか、昭和を感じさせるものに出会うと、心惹かれる。日本は先進国だけれど、一歩裏路地に入れば、時が止まった「超アジア」な場面い紛れ込む空間のひずみが存在する。少なくとも、私の記憶の中では。 昭和ならではの裸電球。でもこれは省エネ版だから、昭和じゃないか。 I was born in the Showa era. Whether because of the time I was born or my emotional attachment to old things, I always feel drawn to the things or the situations that remind me of the era. Generally speaking, Japan is one […]

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Street performer

NYの地下鉄はストリートパフォーマーに遭遇することが何度かあった。ジャズっぽいドラマーやポップなパーカッショニストは、これぞNYという感じで気持ちが上がった。でも、どこか見たことのある風景という感覚は否めず、シャッターは切らなかった。 この彼女に出会ったホームは、バスキングスポットとして象徴的な場所ではないように思う。そして、彼女自身も、大きな動きで目を引き付ける存在というよりは、静かすぎる佇まいが目を引き付ける感じで、不思議な空間を作っていた。でもそれが無性にリアルで、とても興味を引き付けられた。正直、彼女がどんな音楽を演奏していたのか思い出せない。でも、この憂いのある伏し目がちの表情は、今でも記憶に残っている。 ストリートミュージシャンに出会うと、いろんなことが頭を巡る。その人の夢、日々の暮らし、音楽への愛。デジタルで音楽を聴くことに驚くほど慣れてしまった今でも、やっぱり音楽は生がいい。人前でパフォーマンスをすることの楽しさや、恐さを知っているミュージシャンの端くれとして。 In the NY subway, I often encountered street performers. From a jazz drummer to a pop percussionist, they looked like the very New Yorker to me, and I got really excited everytime I saw them. But somehow, I couldn’t help feeling ‘I […]

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フェアウェル

化粧台、香水、眼鏡、ヘアブラシ。もう帰ってこない主人に、待ちぼうけを食らわされているとも知らず、佇むモノたち。時間は、そのモノの周りでだけ止まっているようにもみえた。大好きだった祖母が亡くなったあと、彼女の部屋へ入った時のことだ。 人ってこんなに突然に、そして完全に消えてしまえるのか。近い人がなくなるということを初めて経験した20歳そこらの私は茫然とした。「神隠し」という言葉は知っていたけれど、まさに神様が突然連れて行ってしまったようだなと思った。 私が去る日もいつかやってくる。私のモノたちは、どんな表情で主人の不在を受け止めるだろう?あれもこれも取っておいて捨てられない主人がいなくなり、お役目が解けてほっとするかもしれない。 There were her perfumes, her hair brushes and her glasses on her dressing table. They looked like standing still and waiting patiently to be used by her, without knowing she will never come back again. Time around her things looked as if […]

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本家はどちら?

日本とフランスは同じレベルで両想いだと思う。歴史的背景は、まったくといって言いほど共通していないけれど、フランス人は日本文化の侘び寂びやカワイイの感覚を理解しているように感じる。とは言え、フランスはラテンの国。彼らの立ち居振る舞いを見ていると、日本人のこじんまりとした島国の生き様とは対極に映ることの方が多い。熱情的で、周りの目などどこ吹く風、横柄なところもなくはない。お互い、自分にはない所に惹かれ合っているのかしら。 パリの地下鉄のドアにこのステッカーを見つけた時、両想いがここまで募っているのか!?と笑ってしまった。日本の電車のドアにも、これと酷似したステッカーが貼ってあるから。本家はどっち? I think Japan and France love each other at the same level. Though our historical backgrounds are completely different, it seems to me that French people understand the feel of Japanese culture such as Wabi-Sabi and Kawaii. However, France is a Latin country. […]

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photogenic

アメリカはフォトジェニックだ。そのサイズ感、プレゼンテーション、色、空気。このオレンジ色のごみ袋も、なぜかかっこいい。ちょっと考えてみても、道端のごみ袋がここまでカッコいい国は、ほかにはないと思う。 「こうなのだ」と肯定する力はパワフルだ。アメリカのカッコよさを裏付けるものはそこだと思う。間違っているか、そうじゃないかは関係ない。そして、この「肯定力」にいつも圧倒される。「これでいいですか?」と、常に周りと協調することを良しと教えられてきた自分には、この直球の肯定力は眩しい。オレンジ色のごみ袋、眩しいぜ。 America is photogenic. Size, presentation, colours and space. Everything is so big and vibrant, and has full of energy. Even a garbage bag is photogenic, and probably you cannot find any other place but America, where a garbage bag on the roadside looks […]

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やさしい人々

動くたびに視線がピタッと付いてくる。明らかな訪問者である、私の一挙手一投足を見つめる目。険しい表情が監視しているのだろうと、その視線の持ち主にそっと目をやると、そこには歩き始めた子を背後からそっと見守る親のような眼差しと、柔らかい笑顔があった。 ブカレストでは、たくさんの優しい笑顔に癒された。温かいお母さんがブカレストなら、ベルリンはちっとも褒めない硬派なオヤジ。愛がない訳じゃないけど、不器用。ちょっとひねくれてもいる。ベルリンのツンデレも惹かれるけど、褒められて伸びるタイプの私には、ブカレスト的な親がほっとする。 Every time I moved, a silent stare followed me very closely. Eyes stared at every move I, the obvious visitor, made. I thought there must be a serious face checking on me. But when I moved my eyes towards the gaze very slowly, […]

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病院の時計

病院はできればお世話になりたくない場所の一つだけれど、その建築やデザインの美学は好きだ。 特に昭和の香りがする日本の病院は、デザイン美術館にでも来たような錯覚さえ覚える。手すりやドアノブ、エレベーター、館内放送用のスピーカーなど、高度成長期の最先端の優れたモノたちを目撃することができるから。この壁時計も例に漏れず、数字のデザインや秒針の尖り具合なんか、たまらなく素敵にデザインされている。 日本は、色々な理由で古いものが新しいものへと置き換えられることが多い。そのスピードも案外速く、1年、2年ぶりの帰国は、様変わりした街の顔を受け入れる作業から始まると言ってもいい。今度帰国できるのはいつのことか。プールに行く途中の小道にある、小さな和菓子屋さんに立ち寄れる日がくることを祈りつつ。 A hospital is one of the places where you don’t want to visit so often, but I like the aesthetics of its architecture and the design. I especially like the one with the Showa Era’s atmosphere of the sophisticated design which I […]

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little intruders

中学生の時、校長室に呼び出されたことがあった。ベルリンの夜道を歩く中で、暗がりに浮かぶ校舎を見つけ、一瞬のうちにタイムトリップ。 放課後に女子クラスメートと3人で、好きな先輩の教室へ忍び込み、何か所持品を拝借しようという計画を立てた。侵入したはいいが、先輩の机には「置き筆箱」しか見つからず、落胆しながら悩んだ挙句に手にしたのは消しゴム。正直、先輩のものだという証拠は何もない。「取れ高」はかなり低い。 渋々と帰ろうとしたところ、廊下から足音が聞こえた。元来、小心者なので、慌てて隠れようとして激しく机にぶつかった。「誰だっ!」と、足音の主が叫び、お縄頂戴。驚くことに、その主は校長だった。「君らはここで何をしているんだ」と、私たちに問うた時の、驚きと安堵が入り混じった顔は今でも忘れない。「小娘3人でよかった」と。 翌日、ドラマのような展開で、校長室からお声がかかった。3人とも案外真面目な生徒だったので、クラスの視線はかなり熱かった。「何をやらかしたんだ?」と。結局、校長にやんわりと怒られたというお粗末なオチしかないけれど、少し笑える私の武勇伝。 I was called into the principal’s office when I was in junior high. When this school building emerged in the dark while walking down the street in the night, I got a memory flashback. Two girl friends and I had a […]

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midnight snack

日本では「シメのラーメン」というけれど、ドイツでは「シメのケバブ」という。どちらの場合も、正気の沙汰ではなく、酔った弾みの空腹を満たしたいという錯覚に、罪の意識なく軽く乗っかる感じ。だから、オスロで出会った、ジャンク感の薄いこの看板には、くぎ付けになった。だって、この笑顔。「シメのケバブ」を表現しているのか、「美味しいケバブ」をアピールしているのか、表裏一体な感じがたまらなく惹かれる。「うっしっし」か「やっほっほ」、呑兵衛かシラフかで全然意味が違ってくる。 ふと思う。「オスロのシメ」は何だろう。想像するに、ここのケバブは酔いがさめるほどの値段だろう。正気に戻れるという意味で、オスロで「シメのケバブ」はありかも。 After bar hopping, a midnight snack in Japan is, no doubt, ramen, but in Germany it will be kebab. In both cases, it is a classic example of insanity, taking an advantage of a drunken delusion of wanting to satisfy hunger, which is […]

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小さな魔法

*Please scroll down for the English version. 小さな店先のショーウィンドウが好きだ。一枚のガラス板を挟んで、外と内の2つの空間がシンクロする。 ヨーロッパ、特に東欧の街に行くと、日本では減ってしまった個人商店がまだ軒を連ねていることが多い。その独特の装飾やデザインのショーウィンドウは、物珍しいというだけでなく、その店のセンスが光っていて目をひきつけられる。ウィンドウの外側から透けて見える中の世界は、異国情緒も相まって好奇心が掻き立てられる。 ブカレストで出会ったこのショーウィンドウは、カラフルな半透明のシールのようなものが窓に貼られていて、通りの反対側が鏡のように映り込んでいた。裏と表の風景が幾層にも重なりあって、ちょっと幻想的でもあった。 I love shopfront, especially the ones of privately owned shop. It is fascinating to see that two worlds, inside and outside, are synchronized with a glass plate separating them. Comparing to Japan, there are still […]

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行きつけのインド

よく日曜日に外食をしていたこのインドレストランは、今ではテイクアウトしかできない。お客一人座っていない暗がりのフロアを、客としてみることになるなんて夢にも思わなかった。この情景を見た時、茫然として、たまらなく悲しくなった。 でも次の瞬間、閉店後の友達の店にきたような、親密な空気を感じたのは否めない。「何か食べてく?有り合わせだけど」そんな声が聞こえたような気がした。 This is an Indian restaurant where we used to eat out but now, they are only allowed to offer takeaways. When picking up our order, I encountered this dim serving area, which I never expected to see as a customer of the restaurant […]

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ドイツの散歩道

*Please scroll down for the English version. 「フリートホフ(墓地)に散歩に行かない?」と初めて誘われたとき、私は正直ひるんだ。墓地の散策? 前情報がない私には、何をどう考えても散歩が楽しめる場所とは思えなかった。不安ながら好奇心に引っ張られて実際に足を運んでみると、そこにはフツーに散歩を楽しむドイツ人の日常があった。ゾンビ映画のようなおどろおどろしい雰囲気は微塵もない。 直訳すると「平和の中庭」という意味のドイツの墓地は、教会に隣接していて、街の中心にも点在する。比較的広い敷地には、野鳥やリス、昆虫などの生き物が生息し、木々や草花が溢れ、死者が眠るところというよりは、生命の穏やかなエネルギーに包まれている。これがパワースポットとは言わないけれど、不思議と気持ちが落ち着いて、考えを巡らせるのにピッタリのフリートホフは、ドイツ人ご用達お散歩コースの一つだ。 “Would you like to go for a walk in a graveyard?” When I was asked first time, I felt a little scared. However hard I tried, I couldn’t get my head around why graveyard? It […]

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taste of home

外国で生活していると、おふくろの味が故郷の味になる。そして、故郷の味が必ずしも和食ではなくなり、アジアの味が故郷の味へと進化を遂げる。なかでも中華料理は、日本食が恋しくなるのと同じくらい愛着がある味で、美味しい中華を食べれた日には心の中からすーっと力が抜ける。生活様式や価値観は似ていない中国の味を、故郷の味のように位置付けてしまうって乱暴だけれど、正直ほっとしてしまうのだからしょうがない。 NY州の小さな町にあるこの中華料理屋は、時間が止まった店の空気と、アメリカにいながらもっとも非アメリカな空間がたまらなく安心感を与えてくれる。アメリカ帰省時の、私の「おふくろの味」だ。 20年も住んだドイツを、もしもいつか離れる日が来た時、次の土地で懐かしく思い出す「ドイツのおふくろの味」は何だろう。サワーブレッドと酢漬けの魚、赤ワイン。カルテスエッセンかもしれない。 Living in a foreign country for a long time, the taste of mom’s cooking will become the teste of home. However, the teste of home is not necessarily Japanese, and the taste of Asia evolves into the taste of home. Among other […]

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german christmas

ドイツのクリスマスは日本のお正月のような位置づけで、家族で集い祝う。だから、12月になると「いつ帰る?」が頻出ワードになり、ドイツはソワソワと帰省モードになる。これに平行して、ベルリンのような首都には、いろんな事情から実家に帰れない人、つまり私のような外国人や、休暇を楽しむツーリストだけが残される。だから、こういう人種は大晦日までほぼ毎晩のように、開催場所を変えながら「クリスマスパーティー」に呼んだり呼ばれたりして、食い倒れ、飲み倒れのデカダントな日々を過ごす。子供が生まれる前の私も、もれなく「こういう人種」だった。 今年は世界中がコロナに包まれ、というかコロナのうねりに飲み込まれた1年だった。ある意味、SF映画を見ているような「非現実」であるはずの光景をたくさん目にした。来年の今、私はどこにいるだろう。ベルリンで大勢の観光客を嬉しそうに眺めながら、日本への正月帰国の荷造りをしているかもしれない。「非現実」を乗り越えて、すがすがしい気持ちで。 In Germany, Christmas is a family event like New Year in Japan. So, when December starts “when are you going home?” becomes one of the most common phrases, and the Christmas mood makes most people restless because there are so many things to […]

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